ちょス飯の読書日記

『椿の海の記』   ★★★★★ 石牟礼道子著 1976年 朝日新聞社

 38年前に読んだが、内容をまったく憶えていなかった。石牟礼のこどもの頃の水俣での暮らしのおそらく初めてのエッセイだ。そこには、後に発表されるエッセイのエッセンスがぎっしり詰まっている。

 数々のエッセイには、同じことが繰り返し書かれているとも言えるが、細やかで綿密な自然描写や、農作業、食事風景、家族の面々、栄町の人々、遊びと夢の中と哀しみでいっぱいになるみっちんの心中が、記されていて本当に面白い。何という記憶力だろう。

 無論記憶だけではなく、創作の部分もあるだろうが・・・。とくに、盲で狂人の祖母おもかさまのエピソードは、石牟礼氏を象った一番のエッセンスだ。おもかさまは、ある晩、みっちんの夢の中で蟹になる。その姿が可愛らしくて哀しくて。みっちんのことを思うときには、おもかさまは正気に返る。農作物について尋ねられると、匂いや手触りで、重要なことを言い当てる。

 驚いたことに、みっちんはこどもの頃から、「こどものふりをして」いたという。とても興味深い。赤ん坊のときは、赤ん坊のふりをして大人に言われて笑ってやったという。

みっちんは、ジャノヒゲの青い珠の美しさに見とれて、珠になったり、狐の子になったり。おもかさまの悲しみを、自分の悲しみにしている。

ただ、親戚のお澄様の孫がみっちんと同い年だというが、「花のように美しい」と皆に誉めそやされるのを聞いて、自分は「花のように美しい」と言われたことがないのに気づく、という場面は切なかった。会ったことのない親戚のこどもは美しいのか。人の顔に美醜がある、自分は美しくないのだとみっちんは小さいうちに知ったのだ。

 みっちんは、活発な子でもあった。親に隠れて、こどもたちを集めてサーカスの真似をして、帯で作ったロープに足をかけて逆さ吊りができたとは、面白かった。また、近所の女郎屋の妓たちにかわいがられ、淫売になりたいと着飾ってお化粧して、親の留守中に通りを行ったり来たりして花魁道中をしたり、・・・。きいちゃんと、飴やせんべいを盗んだり・・・。かわいいかわいい珠玉のこども日記だ。