初詣

元旦、いつも通っている神社へ、chosu-pampaと行き、お参りしてきた。珍しくchosu-pampaは今年の元旦は休日だったのだ。

2日。自転車で少し遠い神社へ初詣。そして、そのそばにあるお寺の墓地へ行き、有る人のお墓参りをしてきた。

墓地には、近所に住んでいた3年前に亡くなったおばあさん(享年97歳)が眠っている。ときどき、道端で出会うと、「あなたのこどもは元気か。どこに勤めているのか」と尋ねるので、嫌だった。ひきこもっています、アルバイトですとは言いたくなかったのだ。

しかし、おばあさんに悪気はなく、ただ自動的に尋ねているだけだったのだろう。

こちらの問いかけには耳が遠くてあまり、答えられす、問わず語りに自分のことを話したがるので、つかまると長話を聞かされてしまう。気の毒に思い、じっと聞いたりもしていたが・・・。

chosuに会いたいと、よくおばあさんは言っていたが、亡くなるまでchosuは会いたくないと言って、会わなかった。

彼女は倒れて骨折するまで、黙々と主婦業をしていた。晩年はヨチヨチ歩きで、心配した向かいの万屋のTさんは、ばあさんが買い物に来ると、帰りは荷物を持ち、手を引いて家まで送って上げていた。

ご主人は30年前に亡くなっており、優秀な次男は離れて暮らし、コミュニケーション障害らしい長男とふたりで生活していた。おばあさんの庭には、雑草一つ生えていなかった。こまめに庭の手入れをしていたからだ。

3年前10月頃、この頃おばあさんを見かけない、洗濯物が干されていないことを心配して、おばあさんの家の向かいにある万屋のおじさんに、消息を尋ねると、・・・やはり入院していた。その後、一時帰宅していることを知り、友人が送ってくれた次郎柿とおばあさんが70過ぎの息子にヤクルトを買っているのを思い出して、ヤクルトを持参してお見舞い行った。

思えば、いつも「遊びにおいで」と言ってくれていたのに。死にかけのおばあさんを見舞うためにchosu-manmaは、行ったのだった。

病床のおばあさんは、嬉しそうにして「また遊びに来てね」と言うのだった。鶏ガラのような小さな手は暖かかった。

11月3日。次男が訪問介護や転院の相談をしているうちに、ばあさんは静かに息を引き取った。長男のことを「あんちゃん」と呼び、あんちゃんの世話にあけくれた人生だった。

 

彼女の死後、お墓参りに行くと墓誌の始めに昭和55年 ◯夫 29歳と彫ってあった。おばあさんは、3人の息子のうち、ひとりを若くして亡くしていたのだ。

小さい身体で、ひょろりひょろりと坂道を歩いて行くところを、友人が見たことがあるという。今思えば、おばあさんは、亡くした息子の墓へ、歩いて通っていたのだろう。バス停で3つもある。

 

「おばあさん、私のこどもがやっと就職しようとしています。もし、就職できたら今度こそ、あなたにその顔を見せに来ますよ」とchosu-manmaは合掌してきた。