ちょス飯の読書日記

『綾蝶の記』あやはびらのき 石牟礼道子   ★★★★★ 平凡社 2018年発行

石牟礼の死後、彼女を支え続けてきた渡辺京二(作家)が、単行本未収録のエッセイその他を集めて、編集した短編集。藤原書店刊の『全集』にあるものも含まれる。

あやびらとは、「魂」まぶり。生きまぶりのこと。島尾敏雄からそう教えられた石牟礼は、「自分は海の中に漂うもの、あるいは闇の中の無意識の意志。この世にまだ、いのちを得ぬものたちの世界に、半ば身を置いている感じ」まるで蝶のようだ、という。

「半ば盲しいてから、光や色彩が、いや闇でさえも音符や言霊を作って蘇る」

赤ん坊の頃、私は母に負ぶさって、畠へ行き、母が農作業する間は、萩や女郎花の下陰に寝かされていた。草の間から空の青の奥深さを見上げていて、自分がなにか全霊的に変幻し、浮上してゆくのを感じた。あやはびらの感覚である。」略しながら引用してみた。

なんという表現だろう。

石牟礼は、言葉を発しないものの命に表現を感じているという。石や花にもし、意識があるなら、いかなる美を持っているだろうか。原初からの苦悩が宿されていて、それが、彼らをして高貴ならしめているのではあるまいか、まして人間において。と。

巻頭表題の元となったエッセイ「光の中の闇 ーーわが原風景」からの引用だが、うならずにはいられない。

石牟礼が、作家となってから相当本を読み、勉強していたことが、『梁塵抄』のエッセイなどで、よくわかった。後白河院のことを研究していたとは。

また、水俣病患者の思い出、とくに、杉本栄子さんの「自分を苦しめた人々や病気をもう、恨まん」という件のエッセイは、何度読んでも涙があふれる。

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3月1日、座・高円寺2では石牟礼道子一周忌の集会が藤原書店の主催で行われた。

作家赤坂真理氏が、マリア観音のようなお姿で、金大偉氏(ピアノ伴奏)と自作の詩劇を演じられたが、「キリエ・エレイソン」「あわれみたまえ」と何度も繰り返し、石牟礼の著作からの引用文と彼女の創作を加えて、最後には梁塵抄のなかの「遊びをせんとや生まれけむ」と歌った。

彼女も『綾蝶の記』からインスピレーションを得たのだろう。赤坂氏は、自らが詩を詠じ、踊り、鈴を鳴らして、石牟礼氏の魂を讃えた。金氏のピアノも息を合わせて鳴っていた、・・・開場は静まり返っていた。