ちょス飯の読書日記

水俣病の民衆史』第六巻 2015年9月刊  岡本達明著 日本評論社の画像の画像

遂に一巻から六巻までを読破した。細かい資料、数字の欄はしっかり読まなかった。

水俣病事件が起きる前の、水俣の人々の暮らしから始まり、水俣病の発生、裁判、チッソ会社内での労働争議、補償金時代を経て、「村の終わり」が本巻である。

 今もなお、水俣病の症状に苦しむ人も多いという。しかし病態は、人それぞれに違い、被害の調査もなされていない。国が、辺境の地に住む人々をいかに切り捨てるか、ということを如実に示す水俣病事件。事件は収束していない。

 裁判で多額の補償金を得た、村人はそのお金で安楽に暮らせたのだろうか。この本は、すべて村人の証言でその当時を振り返っている。

 岡本の私見もときどき見受けられるが、被害当事者、その家族、近隣住民の生の声がこの本からは聞こえてくる。

 実際、お金をもらった村人は、御殿のような大きな家を建てたり、シャンデリアを付けたり、ダイヤモンドを買ったりしている。そして、貧困のときには一円も金を貸してくれなかった銀行が、「預金して下さい」とやって来る。

 しかし、こどもたちは大きくなると都会へ働きに出ていって、帰って来ない。こどもにお金をやってしまう人もいるが、結局パチンコと酒に溺れてしまう人も少なくない。

 今では、空き家が増え、広い家に一人で住む老婆がたくさん布団を用意して孫たちが盆暮れに来てくれるのを待っているという。

 とくに切なかったのは、胎児性水俣病患者の子らが、思春期になり恋をするようになっても、成就できないという箇所だ。水俣病患者は生殖器には問題ないと原田正純医師は断言していたが、重い障がいのある胎児性水俣病患者のある女性は、結婚して子を生みたいと望んでも、叶わなかった。

 また、親も同病で先に亡くなると周りの者がケアをしていても、鬱になったりして自死する人の話があり、胸が苦しくなった。

 ただ、余話として昔貧しい漁村では、海辺でこどもをさらって、生き餌として躰をバラバラにしてフカを釣ったという唄が残っているとあったが、とても信じられなかった。フカは、そんなに高額で取引された魚だとは思えない。

 貧しい農村、漁村では間引きやこども、娘を売るという事実は、あったと思うが、・・・。

こどもがひとりで、海辺にいると波にさらわれたり溺れ死んだりするから、危険だということを、知らしめるための伝承唄だろう。

 フカの腹を割いて、こどもの躰の部分が入っていないか警察が調べたというが、これも信じられない。

 調べてみようと思う。「ない」ことを証明することはできないが、その唄について、周辺のことを知りたい。