昨日、財前五郎が死んだ

再放送が開始した日から毎日欠かさず観ていた。とうとう昨日は『白い巨塔』の最終回。

ほとんど憶えている場面だが、やはり「無念だ」と言って目を真っ赤にする財前教授の顔の迫力に、涙した。そして、千成病院の内科医となった里見が「うちの病院に来い、治療させてくれ」というセリフにも。

 

大学病院の絶対的権力を持つ教授に上り詰めたのに、当の本人が専門に治療していた肺がんになって死んでいくラスト。

愛人だったケイコは、彼からお金をもらっていなかったのではないか。純粋に愛し合っていたふたりが、死を前にしてがんセンターの灯りを見る場面も泣けた。ケイコは五郎の出世を望んではいなかった。

 

また、故郷の母が五郎が死んでから駆けつけるというのも、涙涙。母子家庭で苦労して育ててくれた母が、裁判の成り行きを心配して会いに来た時、ケイコは息子の姿をみせないように、がんセンターを案内するが、・・・。これは不自然だった。

医療裁判で患者側が勝つのは、とても難しいが、患者にも知る権利、治療方法を選ぶ権利は認められるようになってきた。これは、このドラマが社会に影響を与えて、実現してきたのではないか。

医師は奢っている。患者あっての仕事なのに。必死に勉強してきて医師となり、自分よりずっと偏差値の低い者たちの病気を治してやっているのだから、威張って当たり前だと思っているのだろう。

(だが、立派な医師ほど頭を垂れて、患者に敬意を持って治療しようとするものだ。

中村 哲氏しかり、徳永 進氏しかり。

chosu-manmaは、貧しき庶民。年金も月額4万円ちょっと。しかし、国境なき医師団ユニセフには献金している。ほんの少しだけ。自分のアドレスシールをもらったので、手紙魔のchosu-manmaは、これを貼って両団体を支援している。)

 

この白い巨塔は、唐沢寿明財前五郎役を見事に演じきったが、やはりオリジナルの田宮二郎版を観てみたい。時代背景と医療の進歩の違いはあるが、それぞれの役者がどう演じているのか、興味が湧いた。

とくに、1978年TV版の最後のものは、田宮が放送を後日本残して、自殺。正に、財前五郎になりきって死んでいったともいえる。全31話を観てみたい。