ちょス飯の読書日記
『聞書 水俣民衆史 ①明治の村』 ★★★★★
水俣村の歴史を、村民たちが語りそれを編集したもの。明治10年から41年生まれの人に、1947年から58年ころまで当時の様子を聴き取り調査した。69人の人の思い出話。
急峻な山間地と海岸沿いの村人の暮らし。あまりにも、貧しい。ご飯が食べられるのは、年に三度だけだった。自分で米を作っているのに、為政者は明治になっても、年貢を取り立てるのは変わらなかった。
賢い百姓が金貸しになり、返せないものはすぐに田畑を取り上げられていき、数人の長者が生まれる。大多数の村人・貧困者を支配するようになってくる。
細川の殿様が、ろうそくのろうを取るために、ハゼの木を植えさせて、年貢をハゼの実で払わせた話は、興味深かった。隣の畑との境界を、だんだん侵していく話も。
とくに驚いたのは、百姓の家では女の子が生まれると、すぐ間引きしたということ。堕胎も日常的に、ツワブキの根と茎を使って行われていたことも興味深い。しかし、子殺しは法律違反であるとされてからは、どの家も子沢山になった。戦地へ行く男子が国に必要だったからだろう。
興味深かったのは、青年小屋では、未婚の男女が自由に性交することが許されていたこと。夜這いも、その家の親公認だったという。そして、結婚相手は馴染みの相手とではなく、飯を食べさせてくれる男を選ぶという。
女性が虐げられていた仕組みなのかというと、女性も性交を楽しんでいたのではないか。とも思える。『カムイ伝』に描かれていた江戸時代の若衆小屋は。水俣だけでなく日本各地にあったことだろう。これなら女郎屋はいらない。
昔は、村民総出で雨乞いをしたり、虫追いをしたという。神様は山にも川にも、海にもいて、その村人は皆、信じていた。カッパや山童もいたという。狐狸も人を化かして
肥溜めを風呂と間違えて入ってしまう人もいたという語りは原始から続く、民間信仰の歴史証言だと思った。