ちょス飯の読書日記

『花びら供養』 ★★★★★ 石牟礼 道子著  平凡社刊  2017年発行

渡辺京二氏編。中央公論文藝春秋、新朝、群像ほか雑誌や、新聞などに掲載されたエッセイを集めたもの。

表題作と「花の文を」の章は、石牟礼の作品に何度も繰り返し描かれた、坂本きよ子さんのお母さんの話。若松英輔氏は、この抜粋をよく講演で紹介するが、涙が出て読めなくなるそうだ。

 少し別の書き方のところを引用する

 45ページ 

「うちのきよ子がですねぇ、花びらばこう、拾うとですよ」わなわな震える老女の指は外に反り返って、 

「拾えませんとですよ、ああいう指では。躰もですね、紐のようによじれて、娘の躰がですよ。どうやって庭にすべくりおりたか、花びらの降る中で、それを一枚づつ地面ににじりつけて、指は外に反ったり曲ったりしとって。花びらの地面ににじりつけられて、一枚も掌にのりません。花もあなた、かあいそうに」

 ほほ笑んでいるかのような憂い顔が、花ふぶきの奥を見つめ、ほつれ毛が頬にふるえていた。あの世から見つめている目つきの、妖美な娘さんの絵姿が残されている。

 「あんまり哀れで、手足や躰は、布団の中にかくしてある」という肖像画である。「念が残っては」とその後、桜は伐り倒された。

 「チッソの人方に水銀呑んでもらおうちゃ思いませんと。人間の姿の、ああも、むごうになるちゅうは。きよ子の桜の花びらば、せめて一枚なりと拾おうとしますが、わたしの指ももうだめで」そう語った坂本トキノさんもすでに、あの世の人である。

 

水俣病患者たちの思い出や、今も海やや大地を汚染し続けているチッソの産業廃棄物については、悲しかった。何故行政は、臭いものには蓋をするだけで、そこから汚染物質が流出しているかどうかを調査し、環境を守るための対策をしないのだろうか。

また、コンクリートで海岸や小川の岸辺を固めると、そこに住んでいた物たちが死に絶えてしまい、やがては人間も文明によって滅亡していくのではないか、と石牟礼はよく指摘している。小さな小さな貝やカニやミミズや魚たちの住処を人間が奪うことは、なんと恐れを知らないことなのだろうかと。