中村 哲氏 暗殺される
12月4日朝、中村氏がアフガニスタン・ジャアララバードで車で移動中、「何者かに襲撃されて銃弾を右胸に受けたが、命に別状なし」という第一報をニュースで見て、「ああ良かった、大丈夫、助かるんだ」とchosu-manmaは、胸をなでおろしていたら、一転。その後のニュースで、緊急輸送する途中で、中村氏は死亡したという。
chosu-manmaは、標的は日本人であったかもしれないが、中村氏のことを知らぬ輩が起こした暴挙だと思っていた。彼が、アフガニスタン人のために、30年余も尽力してきた人だと知らぬからそんなことができたのだろうと。
だが、しかし。今朝の朝刊には、犯人グループは用意周到に、中村氏を狙った犯行だったと書いてあった。同乗者も全員射殺されている。お気の毒だ。運転士も警護の人も一瞬にして狂気の銃弾に倒れたのだ。盾になっても、中村氏を守りたかったことだろう。
悔しい。残念だ。
彼は、もう73歳だった。楽隠居していて良い歳ではないか。好々爺然とした彼の風貌を、恐らく殺し屋達は視なかったのだろう。そんなおじいさんの風貌を視たなら、いかに命令だとはいえ、銃弾をぶち込めるはずがない。
テロリストとは、何なのか。人ではないのか。殺人マシーンなのか。
もし、犯人たちが、ある組織に属していて、リーダーに「神の名のもとに中村を殺戮をせよ」と、命じられてそれをそのとおりに遂行しただけだったとしても・・・・・・。絶対におかしいよ。許せない。
中村氏ご自身は、いつか凶弾に倒れる日のことを、心の片隅では考えていたかもしれない。しかし、その日がこの日だとは、思わなかったことだろう。あまりに突然にその日がやってきた。
ただ、アフガニスタンの地で倒れて死んでも、彼には悔いはなかった、その覚悟は常にあったのだろうと思う。
前のめりに、彼は倒れたのだ。
現地入りせず、日本から指示を送り、あるいは命令するだけでも良かったのに・・・。彼は、アフガンの地と人々を心底愛し、尊敬していたという。
しかし、米国に追従している日本の軍備や、より悪化する治安や異常気象、近代化の弊害を憂いておられたという。
彼は、この本の執筆者のひとりでもある、『憲法九条が、自分たちの平和活動を守ってくれる』と書いていた。