中村哲氏の告別式

福岡で中村氏の告別式が11日に、あった。1300人もの人が参列したという。ご遺族の代表としてご挨拶をされたご長男健氏は、まず「父を守るためにともに亡くなられた方、そのご家族ご親族の方に、哀悼の意を表します」と言われた。そう、銃撃されたのは中村氏だけではなかった。そして、彼を守れなかった「ごめんなさい」と在日アフガニスタン人たちや、アフガニスタンの国内の人々も口々にそう言った。

ああ、何故。中村氏は現場へ向かったのだろうか。彼の身に危険が及んでいるということは、実は二年前から言われていたのだそうだ。中村氏自身も、そのことを知り護衛付きでの通勤をしていたのだそうだ。

彼は、万一の時が来ることをもしかしたら、知っていたのかもしれない。それでも、いつもどおり、淡々と気負うこともなく、工事現場へ彼は向かったのだった。

「一隅を照らす者 国の宝なり」という最澄の言葉を、中村氏は好んだという。彼は、正に一遇から多くの人を照らし続けたのだが、それができたのは、日本で彼の帰りを待つ家族のご理解があったればこそ。ペシャワール会の人々の援護、それを支持する多くの日本人達からの浄財が、彼の決断と活動を支えてきたのだ。なんと素晴らしいご家族だろうか。彼を支援した人々の偉業を、私は讃えたい。

いやいや文字通り、手掘りで工事を手伝ったからこそ、この灌漑事業は成功した。

彼の特集番組では、そこの住民たちが一番望んだ、イスラム寺院や学校まで、異教徒(キリスト教徒)であった中村さんは建説したという。心底驚いた。

遺影のお姿は、アフガニスタンの大地に立つ穏やかなお顔。作業服のいでたちだった。

合掌