野村克也氏 追悼 

2月11日、彼が愛妻亡き後、奇しくも彼女と同じ「虚血性心不全」で亡くなってから、追悼番組や記事を読んで、野村克也氏の華々しい現役時代の活躍を知った。監督時代には、最下位チームを日本一にするなどの大活躍があったことなど、今更「すごいひとだったのだ」と知った。

とくに、彼が極貧の母子家庭で育ち、長島と同年齢だったことから彼をライバルだと思い、絶対に負けたくないと頑張ってきた、という信念は凄まじいものがあったようだ。

長島は、自分のことなど気にもとめていないだろうが、彼の存在が自分を発奮させてくれたという。

長嶋は、顔もガタイもよく何より面白いので、人気者だが、・・・。

野村氏は、何と彼以上の成績を残し、彼以上にいや日本一の監督、指導者となっている。

また、奥様と、おのおのがともに既婚者でいながら出会い、離婚せずに子をなし、やっと正式な夫婦になったという。この愛妻をこよなく愛し、彼女のいない人生を「寂しい寂しい」と生きて2年。

やっと、さっちーの元へ彼は旅立った。

chosu-manmaには、さっちーは恐ろしい形相で、周りの人に言いたいことを言って、傷つけても平気なおばばに見えたのだが、・・・。彼と息子にとっては、良妻賢母だったらしい。

ウイキで調べたところ、彼には最初の妻との間に息子がひとりいるが、サッチーの前夫との間の子らも、野村姓とし彼のマネジメントなどをさせて、大切な家族としていたようだ。

野球選手は、鳴り物入りで入団してもスター選手となり長く野球を続けられる人は、ほんの一握りだ。もう、自分はだめだと諦めている選手たちを、野村氏は多く立ち直らせてきたという。

彼は、科学的な正しい指導と熱血人情の指導両方を兼ね備えた知将だったのだろう。

選手時代に、ぼやいてバッターに圧力をかけていたことは、卑怯だとも思うが、「勝つ」ための作戦だったのだろう。耳栓をしてバッターボックスに立つ選手もいたという。また、悔しがっておならをぶっぱなした選手もいたそうだ。江本孟紀